高麗を捨てた福信と破られた系図
どんな伝承か
聖武天皇の頃、高麗郡出身の高麗福信は相撲の強さで天皇の目にとまり、朝臣の姓を賜って高い官位に昇った。しかし宝亀十年、旧俗の号である高麗を除いて高倉に改めたいと願い出て許されたことが『続日本紀』に見える。また高麗神社の宮司家に伝わる高麗氏系図は、正元元年の大火のあとに書き直したものというが、巻頭が欠けていて若光の名が見えない。坂口安吾はこれを虫食いではなく破り取られたものとみた。著者は、高麗の名がかつて表に出したくない呼び名で、先に来た百済系の人々が高句麗人を熊になぞらえて蔑んだのだと推理する。
原典より
しかしこれは正元元(一二五九)年の大火に消失したものを、一族相集まって書き直した物といわれるが、その巻頭は虫食いのため無くなって、高麗王若光の名は見えない。—— 秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行(神山弘・1984年(昭和59年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行(神山弘・1984年(昭和59年))
『秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行』は、神山弘が一九八四年に著した伝説探訪の紀行である。越辺川の流域や高麗郷、富士山のある村々、竹寺、武甲山と三峰山、宝登山、釜伏峠と粥新田峠など埼玉県西部の山村を歩き、土地の古老からの聞き書きと『新編武蔵風土記稿』などの記録を交えて、竜や大蛇、天狗、幽霊、将門などの伝説を語る。土地ごとの章に小見出しを立てた随筆体で、著者の前著『ものがたり奥武蔵』で扱わなかった土地を主にとりあげる。