稲飯神を大将軍とする三韓進攻
どんな伝承か
十五代天津御子の世、三韓の賊がたびたび対馬を襲い、三度目には大船八十二艘に三万余の兵を乗せて押し寄せた。対馬の首長の訴えを受けた日向の大宮では、稲飯神を大将軍とし、騎兵や弓の兵など数万の軍を整え、敵が逃げ帰っても追って三韓の国を攻め、王が従うまで許すなと命じた。軍は阿蘇に陣を構え、筑前の港から船出した。対馬の近くで新羅の和仁港の村長和佐八郎から敵の様子を聞くと、夜明け前に上陸して城に切り込み、背後からも別の隊が攻めかかったので、八万の三韓兵は散り散りに逃げた。軍はさらに釜山港、鴨緑江へ進み、唐支那の援兵と合わさった敵を囲んで四方から火を放ったという。
原典より
しかるにまたその翌年、三韓人の悪者たちは大船八十二双、小舟多数に便乗し、兵士三万三千九百人を従えて、対馬を侵しました。—— 大分県の民話 第3集(土屋北彦・大分県の民話シリーズ) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
大分県の民話 第3集(土屋北彦・大分県の民話シリーズ)
『大分県の民話 第3集』は、土屋北彦が大分県で採集した民話と古記録の奇談を編んだ民話集である。花咲か爺や猿の恩がえし、山うばなどの昔話を方言の語りのまま載せ、狐・河童・大蛇・山童・犬神の話、大友氏泰に殺された吉弘一頓の怨霊、古代の神々が越の国や三韓へ兵を出す話などを収める。あとがきに第三集は本格昔話を中心に古記録の奇談を集めたとあり、末尾に杵築市で記したあとがきを置く。