大星不動に守られた松山館の主
どんな伝承か
「大久保昔書遺翰」によれば、松山の館主大久保氏の祖先は、はじめ山陰の出雲に住んで松江氏を名乗り、隠岐に移り、康永元年には出羽国本庄に三年間滞在し、さらに鹿角郡白根山に住して白根氏を名乗った。観応二年の陸奥北川の合戦で功をあげて松山の地を与えられ館をかまえたが、貞治三年に閉伊氏に敗れて久慈浦の大久保郷へ移り大久保氏を名乗り、やがて許されて松山館に帰った。この折、持仏堂にまつっていた観音にかえて新山権現、すなわち羽黒権現を勧請した。その後、大久保氏は出雲以来の守護神大星不動の加護で戦に勝ち勢力をのばしたが、応仁元年に六代光致が千徳の土岐氏に敗れて自刃した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪(宮古市(編)・宮古市史)
『宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪』は、宮古市の市史のうち、民俗編上巻の第四節「民間宗教者」と第五節「民間医療と俗信」を収めたものである。南部藩の宗門帳などの古文書から閉伊郡の山伏・神子・瞽女と里修験の成り立ちをたどり、イタコ・カミツキと呼ばれる巫女の系統、新宗教、民間薬、予兆・占い・まじない・禁忌を述べる。俗信の末尾には座敷童子・カッパ・キツネ・モウコ(幽霊)・オシラサマなどの話を、地区名を添えて箇条で並べる。