自宅に護摩堂を建てた神職
どんな伝承か
豊間根の芳賀家は本山派修験威徳院の流れをくむ。明治二年に影本が復飾して芳賀貞治と名乗り神職となったが、その後も代々修験への愛着が強かった。泰雄は東京の皇典講究所で学んで神職の免許を得たものの、仏教や伝統的な修験に関心を持ちつづけ、その子を高野山で修行させた。さらに昭和六二年には自宅に護摩堂を建立している。明治以降に分かれた宮古の旧修験の五つの流れのうち、神職でありながら仏教への志向を強くもつ型がこれにあたる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪(宮古市(編)・宮古市史)
『宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪』は、宮古市の市史のうち、民俗編上巻の第四節「民間宗教者」と第五節「民間医療と俗信」を収めたものである。南部藩の宗門帳などの古文書から閉伊郡の山伏・神子・瞽女と里修験の成り立ちをたどり、イタコ・カミツキと呼ばれる巫女の系統、新宗教、民間薬、予兆・占い・まじない・禁忌を述べる。俗信の末尾には座敷童子・カッパ・キツネ・モウコ(幽霊)・オシラサマなどの話を、地区名を添えて箇条で並べる。