姻戚で結ばれた里山伏の組
どんな伝承か
近世の宮古周辺では、里山伏が近隣同士で姻戚関係を結び、組を作って活動していた。豊間根の本山派威徳院、寿宝院貞本の家では、同村の修験大泉坊から養子を迎え、妹を八木沢の文珠院へ婚出させ、孫の嫁を船越村の大徳院から迎え、甥を津軽石の慈眼院の婿に出すというように、いずれも羽黒派の修験と縁を重ねている。弟子の神子が家族の一員に加わっているのは、宮古の修験者が湯立を主要な活動としており、それに神子が欠かせなかったためである。羽黒派の書上によれば、宮古の同派修験は長沢・牛伏・宮古・松山・千徳・八木沢・金浜・磯鶏・津軽石の各村ごとに組を構成していた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪(宮古市(編)・宮古市史)
『宮古市史 民俗編 上巻――民間宗教者・俗信・妖怪』は、宮古市の市史のうち、民俗編上巻の第四節「民間宗教者」と第五節「民間医療と俗信」を収めたものである。南部藩の宗門帳などの古文書から閉伊郡の山伏・神子・瞽女と里修験の成り立ちをたどり、イタコ・カミツキと呼ばれる巫女の系統、新宗教、民間薬、予兆・占い・まじない・禁忌を述べる。俗信の末尾には座敷童子・カッパ・キツネ・モウコ(幽霊)・オシラサマなどの話を、地区名を添えて箇条で並べる。