辱めを受け身を投げた稚児の墓
どんな伝承か
源頼朝が慈光寺に参詣したとき、もてなしの人手が足りず、山向こうの高山不動から稚児たちが手伝いに呼ばれ、なかでも美しく賢い一人が給仕役に選ばれた。妬んだ稚児たちは、給仕の最中に袴と腰刀が擦れて鳴った音を放屁だと言い立てて辱めた。無念に思った稚児は役目を終えた帰り道、高山と慈光山が見える大岩から谷へ身を投げ、もう慈光寺へ稚児を送らないでほしいと言い残したという。以後、慈光の寺領では子が丈夫に育たなかったと伝わり、死んだ場所の石祠は稚子の墓と呼ばれている。
原典より
これを嫉妬した他の稚児は、稚児に失礼のことがあったとねつ造して辱しめたので、美貌な稚児はくやしさのあまり、高山不動への帰途、慈光の見える山の岩上から投身してはててしまった。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。