八幡太郎が旗を掛けた義家橋
どんな伝承か
神川町二ノ宮の金鑽神社にある義家橋は、八幡太郎義家が奥州征伐に向かう際に金鑽社に参籠し、旗を橋に掛けて渡したことからその名で呼ばれるという。今は石橋になっている。橋の右手には義家が馬をつないだという駒つなぎの石があり、高札には、永承六年六月、陸中で背いた安倍頼時・貞任父子を討つため源頼義と義家が出陣した折、この社に籠もって勝利を祈り、橋を架けて駒をつないだと記されている。
原典より
昔、八幡太郎義家が奥州征伐の時、金鑽社に参籠し、旗を橋にかかけて渡したので、義家橋と呼んでいる。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。