元文二年の佐野新蔵事件
どんな伝承か
万延元年の名主殺しを別にすれば、八丈島で起きた大騒動は元文二年の佐野新蔵事件だけであった。ただの島抜けとは目的が違い、保元物語の八郎為朝のような働きを夢みていたのではないかと柳田は見る。小普請組にいた幕府の士四人に、医者と坊主、それに厚髪の弥兵衛という町奴らしい男までが加わって、役人の宅に火を放って討ち入ろうとした。企ては事前に露顕して全員が召し捕られ、死罪になったのは四人だけで、残りは青ヶ島と小島へ島替えとなり、一人を除いて相応に長生きして死んだ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。