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賀茂規清の八丈流罪

所在地東京都八丈町
年代弘化四年
登場賀茂規清、梅辻飛騨
出典定本柳田国男集 第1巻

どんな伝承か

幕末の八丈島の流人には変わり種が少なくなかった。『岩戸開』などの著者として知られる賀茂規清、すなわち梅辻飛騨もその一人である。弘化四年にこの島へ送られてきたが、一年と経たずに死んでしまった。近藤富蔵の流された文政十年以後に八丈へ送られた者はおよそ六百人足らずで、そのうち半分ほどが島で死に、七十人ばかりが抜け舟を企てて失敗し、あるいは成功したと記録されている。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)

『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。

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