流人坊主の勧めで建てた死霊の小祠
どんな伝承か
姉よしの病が治って六、七年ほどのち、万蔵の女房がはやり病にかかった。実家の平太夫方に帰して養生させてもよくならず、心配した女房の母は、宇賀村に島流しになっていた坊主の觀玉に祈禱を頼んだ。觀玉は、誰かの死霊がとりついているから病むのだ、払うには家に小さな祠を建てねばならないと告げた。母がどうしても祠を建てて祀れと強く迫るので、万蔵はやむなく小祠を建て、死霊払いの祈禱をしてもらった。すると不思議にも女房の病はすっかり治ったという。この祠が、のちに別の騒ぎを呼ぶことになる。
原典より
そこで、止むなく私は、小さな祠を建てて、死靈排除の祈禱をしてもらいましたら、不思議にも女房の病気が全快しました。—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。