外道のたたりとされた死と万蔵の村八分
どんな伝承か
訴状の三年前、万蔵の女房の実家平太夫の跡取り権左衛門が病み、願成寺と別府村千福寺の祈禱もかいなく死んだ。翌々日、両寺の者と宇野玄馬の次男亀三郎が来て、死は万蔵方の外道(狐)のたたりだから平太夫と宇野玄馬の家は縁を切る、外道を連れ戻しに来いと告げた。万蔵が、証拠があるなら縁を切ればよい、外道がいるなら縄でくくって連れてこいと返すと、両家は狐の証拠があがったと村中に触れた。浜寄合いのあと牛三郎が村の総意として村役を降りよと迫り、万蔵は役を返上した。大山寺の使者の仲立ちで結んだ和解の約束も守られず、甥幸十郎の妻は実家に引き取られ、万蔵の娘も嫁ぎ先から戻された。
原典より
このようにして推移しますならば、私方は滅亡するより以外にはありません。—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。