小祠のたたりと伏見のお告げ
どんな伝承か
万蔵の女房の病が治って五、六年たったころ、宇賀村の面屋嘉兵衛が病気になり、やはり流人坊主の觀玉に占わせた。觀玉は、病は万蔵方の小祠のたたりで、この土地では払えず、京都で祈禱してもらうほかないと告げた。万蔵の父利平太はやむなく京へ上り、社寺を尋ね歩くと、伏見の社に願をかけるのがよいと勧める人がいた。伏見で祈禱を頼むと、家に建てた小祠を流し捨てよとのお告げが下った。利平太は七日の滞在を終えて島へ戻り、万蔵方の祠を海へ流したという。
原典より
「お前の家に建つている小祠を流し捨てるように」との御託宣がありましたので、利平太は七日間の滞在を終えて、帰国し、私方(万蔵方)の小祠を海に流したのであります。—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。