鹿島則文の身代わり流罪
どんな伝承か
鹿島則文は父の罪に代わって、慶応二年に八丈島へ流された。明治元年に赦されて島を出ている。島の流人帳には五位とだけ書かれて本名が伏せられているが、近藤富蔵の著した八丈実記の序には本名が記されているという。幕末の流人にはこうした身代わりの遠島のほか、下手な狂詩や発句を残した者、八丈寝覚草の筆者のような書き手も混じっていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。