近藤富蔵の赦免花の記
どんな伝承か
柳田の手もとにある流人帳の裏表紙に、近藤富蔵はこんな書き付けを残していた。赦免花が明治七年に咲いて翌八年に十一人、九年に咲いて十年に十九人、十一年の七月にも花が咲いた、と。そこから先は空白のままである。島に備えられた流人帳と中央に置かれた控えとが食い違っていたために、富蔵は忘れられ、最後まで島に取り残されることになったのであった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。