大館山麓の借宅で迎えた淋しい正月
どんな伝承か
菅江真澄は寛政四年の正月を松前で迎えた。日記『千島の磯』によれば、真澄は大館山の麓、天神社の脇に借宅して淋しい独り暮らしをしていた。あまりに雪が深く、外の正月も森閑としていて、折々城内の士人の歌の会などに往来しても、目につくような街頭の行事はなかったという。五日には城中で萬歳を舞わせるとあって、折しも来合わせて冬籠りをしていた旅役者の澤田某が、臨時に萬歳となって召された。十四日だけは町家にも儀式があり、子供が手に持って唱え言を述べて歩く短い杖を、松前ではゴイハヒ棒と呼んでいた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。