天竹に流れ着いた崑崙人と木綿
どんな伝承か
桓武大帝の延暦十何年かに、若い崑崙人をただ一人乗せた船が、三河の海辺に漂着したという故跡は、今の矢矧の古川の右岸にある天竹という村であろうということだ。この青年もまた還らなかった人である。常に悲しい声で何か歌っていたと、記録にも見えている。耳に環をはめたこの黒い男の血は遂に紛れてしまったが、我々が木綿の種を知ったのはこの時が最初で、しかも後代に及んで幡豆の海辺の低地は、見渡す限り綿畠の白い波であった。
原典より
桓武大帝の延暦十何年かに、若い崑崙人を只一人乗せた船が、三河の海邊に漂着したと云ふ故跡は、今の矢矧の古川の右岸に在る、天竹と云ふ村であらうと謂ふことだ。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。