切通しの切目王子と衰えた九十九王子
どんな伝承か
印南から切目へ越える坂のうち、少し切通しになったところが名高い切目王子で、いまは切目明神と呼ばれている。柳田は、切目という名もこうした地形から来たのかもしれないと考える。熊野九十九王子が衰えたのは、人々が巡礼の趣味を忘れたからとはかぎらない。熊野を西国三十三所の打ち始めとした時代にも、王子の社はすでに三つに一つしか残っておらず、野中や近露のように近ごろ合祀された王子も多い。古い国に来て古いものが消えたのを見るのは、気持ちのよいものではないと記す。
原典より
熊野を西國三十三番の打ち初にした時代にも、既に王子の社は三つに一つしか殘つて居なかつた。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。