大河原の足利直義遺子自害伝説
どんな伝承か
大河原村では、かつて足利直義の遺子行義が附近の武士に攻められて自害したという伝説もあったという。もっともそれは、もはや土地の人々も主張しないであろうと柳田は書いている。これに対して一方の南朝皇胤の伝説は、誰の作為であったか神の名も尹良親王と書き、良の字を「なが」と訓むことが明らかになってからは、それに相当する唱え方をする人が多くなり、全く土地の口碑とは縁が切れて二つの流れの語りごとになってしまった。これだけは文字の教育の無い者には出来ない仕事だという。
原典より
大河原村では、會て足利直義の遺子行義、附近の武士に攻められて自害したといふ傳説もあつたといふが、それは多分もう土地の人々も主張しないであらう。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。