おかた送りと関国経の奥方の亡魂
どんな伝承か
天龍川の中流から下流にかけて、二月と十二月の八日、暖気の神を送ると称して鉦太鼓で藁人形を村境や流れの岸まで送る風習があった。もとは八日の節日だけでなく、疫病蔓延の兆しがあれば臨時にも人形を送った。伊那南部の山村では人形は三つで、土地によってはこれを「おかた送り」とも呼ぶ。オカタは上流の夫人の意で、ここでは和知野城の最後の城主関国経の奥方おまんの方と、その子息、及び二人を殺害した瘤の惣十郎という下郎の人形だと伝えたという。
原典より
オカタは上流の夫人のことで、こ では和知野城の最後の城主關國經の奥方おまんの方といふ女性と其子息、及びこの二人を殺害した瘤の惣十郎といふ下郎の人形だと謂つたさうである。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。