深浦の椿山を食い荒らした鹿の群
どんな伝承か
津軽深浦の椿山も、折ればヘナシ権現の神罰があるといわれていたが、それでも少しずつ折り取る似非風流人があった。その上に思いも寄らない害敵があった。今から百五六十年前、特別に雪の深かった冬に男鹿の半島から多くの鹿の群が渡って来て、この椿の林をすっかり食い荒らし、老木はわずかになって今は芽ばえの若木ばかり多いと、菅江真澄の紀行は記している。男鹿と深浦の間は二十里以上あり、鹿が南から来たというだけで男鹿からと断定したのには隠れた理由がありそうだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。