与板・六地蔵による制裁の慣習
どんな伝承か
与板の町の背後は岡である。宿の主人は才幹ありげな男で銀行の支配人を兼ね、自ら案内して町の姿を説き示した。岡に接しているのは一万石の大名屋敷である。小学校の後ろから登ると、以前医者が住んだ屋敷だという梅の多い谷があり、池に蛙が多く鳴いて荒れ果てていた。寺の庭を通って外に出る。この寺の六地蔵を、町のために好ましくない家の門に舁き据えて制裁とすることが、昔からの慣習だという。近頃破産して与板銀行に迷惑をかけた大金持が二戸あり、その家はすでに取り毀たれて菜種畑になっていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。