常冠りと呼ばれた頭巾の主
どんな伝承か
真澄には一二の逸話が伝わっている。先生は始終頭巾を被り通しで、常冠りという綽名さえあった。秋田の前侯が謁を賜わろうとした際にも、頭巾のままでよければ参上すると言ったという話もある。それを何とかして脱がせてみようとした者があって、あるとき強いて迫ったところ、温厚な真澄翁もその時ばかりは腹を立て、短刀を取って捻くりまわしたということである。先生が角館で病没した際にも、若い人々は好奇心のあまりその頭巾を取ってみようと言ったが、老人たちが承知せず、あれほど人に隠していたものを今更あばくのは人情でないと言って、そのまま葬ってしまったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。