古四王神社脇に眠る漂泊の学者
どんな伝承か
菅江真澄は二十八の年に三河の岡崎を出て、約五十年の間、家のない生活を北日本で続けて死んだ学者である。墓は秋田の寺内村の古四王神社の付近に、今は絶家した鎌田氏の墓地を借りて営まれている。晩年最も親しかった鳥屋長秋の碑文にも年は七十六七とあるだけで、詳しい経歴は旧友の子孫も伝えていない。岡崎では、かつてそのような人が生まれ、去ったことを知る者さえいなかった。彼は嘆き悲しみつつ次第に故郷を遠ざかった。今ある紀行は天明三年の信州下伊那から筆が起こされ、翌年には越後を通り抜けて秋の末に出羽の庄内へ入り、以後は北へ進むばかりで、文政十二年にこの世を辞するまで温暖な東海の岸には出なかった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。