菅江真澄が描いた童子村の雪の正月
どんな伝承か
東津軽の小湊は地名の示すとおりわずかな平地だが、柳田国男は汽車で通るたび窓から外を見ずにいられなかった。岡を一つ越えた向かいの海端に日本最北の椿山があり、反対側の山陰には菅江真澄が百三十年ほど前しばらく滞在した平内の盆地があるからである。真澄は童子という部落の雪の底の正月を描いた美しいスケッチと紀行を自筆のまま遺した。富士山を小さくしたような孤山が聳え、雪の村里がその麓に連なる忠実な写生画で、内童子のあたりだと分かるという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。