重忠の観音像を埋めた観音塚
どんな伝承か
鶴ヶ峰で討たれた畠山重忠には、最期のときに身につけていた観音像を埋めたと伝える「観音塚」がある。鐘楼塚とも呼ばれ、同じく重忠ゆかりの「硯の水」とともに、鶴ヶ峰合戦の昔をしのばせる遺跡として知られる。この丘陵の上には重忠主従を葬った六ツ塚が点在し、その近くに硯の水や駕籠塚、白根神社などの遺跡が残るという。著者は白根神社に時間をかけすぎて日が暮れ、観音塚や硯の水まで回ることはできなかった。
原典より
「白根神社」に多くの時間を費したので、境内を出たら既に宵闇が近付いて、重忠が最後の時所持してゐた觀音像を埋めたとゆう「觀音塚」(一名鐘樓塚)や、「重忠の硯の水」などへ廻る餘裕はなくなつてゐた。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。