謙信の攻めを受けた忍の浮き城
どんな伝承か
関東七名城の一つに数えられた忍城は、池沼と深い田に囲まれた平城で、城下町を含む外曲輪に七つの口を持ち、周囲二里半に及ぶ堅固な構えだったという。頼朝の頃に児玉党の忍氏が住んだのが始まりともいわれ、文明年間に成田親泰が城を奪ってから面目を一新した。子の長泰は上杉と北条の間で去就を繰り返し、天文二十二年に上杉謙信に囲まれた際、謙信は城兵の鉄砲もものともせず城の周りを馬で巡ったという。永禄二年の攻めでは城下が火の海となり、謙信が丸墓山に陣を移して利根川の水で水攻めを図ると城は落ちた。のちに石田三成の水攻めにも耐え、浮き城の名を高めた。
原典より
戰國の昔、關東七名城の一つに数えられた「忍城」(ヲシジョオ)は、今の武州忍町にある。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。