彰義隊の残党が佇んだ十二社の銀杏
どんな伝承か
十二社の熊野神社の正面大鳥居の左側に、首をもがれたような銀杏の老樹が、移り変わる世を寂しげに眺めて立っている。慶応四年の上野戦争に敗れた彰義隊の残党丸毛靱負の一派は、遊撃隊の林昌之助が甲州黒駒にとどまっていると聞き、その後を追って甲州街道を目指す途中、この十二社に足を止めて、この老樹の下にたたずんだことがあったという。熊野神社は応永の頃に中野長者鈴木九郎が熊野十二所権現を勧請したのに始まると伝わり、十二社という地名もこれに由来する。著者は銀杏を見上げて当時をしのび、向かいに建つ新築の社務所を訪ねた。
原典より
正面大鳥居の左側には、首を拐われた銀杏の老樹が變る浮世を悄然と眺めてゐる。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。