丸墓山から仕掛けた忍城の水攻め
どんな伝承か
永禄二年十月、ふたたび関東へ出た上杉謙信は、上州の利根・吾妻の二郡を侵して武州へ進み、忍城を包囲した。謙信が長野口に陣を敷くと城下町は火の海となり、さらに城の東南にあたる埼玉村の丸墓山へ陣を移した謙信は、利根川の水を引き入れて城を水攻めにしようとした。城主成田長泰もさすがに疲れ果て、人質を差し出して謙信に降り、城は落ちた。忍城は南北を大沼に囲まれた要害だったが、このときは持ちこたえられなかった。成田氏はのちにふたたび城を取り戻している。
原典より
この戦闘は、そのうちに城方へ北條氏の援軍が来ることを聞いたので、謙信は前述のように圍みを解いて兵を旋したが、その後永祿二年(皇紀二二一九年)十月の戦闘には、今度は長野口に陣を敷いた謙信の爲に城下町は火の海となり、…—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。