忍城落城と成田氏の断絶
どんな伝承か
成田氏は北条氏の庇護のもとで戦国の末まで忍城を保ち、その恩義から、天正十八年の豊臣秀吉の関東総攻撃では孤城を死守して小田原方の意気を示した。しかし大勢はすでに傾いており、忍城も同じ年に小田原城と運命をともにした。城主の氏長は弟の泰親とともに流浪して会津の蒲生氏郷を頼り、さらに下野の烏山に館を構えて家名の再興に努めたが、それも実らず、成田氏はついに断絶した。忍城の落城を最後に北条方は完全に崩れ、関東は豊臣氏に従い、城は徳川氏の領するところとなった。
原典より
だが然し、既に傾いた大勢は一成田氏の力で何うしようもなく、同年忍城も遂に小田原城と運命を共にすることとなり、城主氏長は舍弟泰親と共に浪々して會津に蒲生氏郷を頼り、…—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。