日蓮が題目を唱えた麻綿原の日本寺
どんな伝承か
麻綿原の妙法山(天台宗)のある所は、その昔、日蓮上人が早朝に登って南無妙法蓮華経を唱えられた所だというので、東都雑司ヶ谷の金子理右衛門という者が一寺を建立し、大日本寺と名づけたのだという。妙法山と名づけられたのは、山上に釈迦如来の石像があることによるのであろうと言われている。『房総志料続編』は、建長五年四月二十八日に日蓮上人が麻綿原の初日の出に登り、はじめて題目を唱えたと記す。寺の北の奥には窟があり、金剛界大日・胎蔵界大日の像、定印の如来の石像などがあって、里人はそれを往古の伊甚国造の墓であると言い伝えている。
原典より
麻綿原の妙法山(天台宗)のあるところは、その昔、日蓮上人が、早朝に登つて、南無妙法蓮華経を唱はしめられたところだといふので、東都雑司ヶ谷の金子理右衛門だといふ主で、一寺を建立し、大日本寺と名づけたのであるといふことである…—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年))
『日本伝説叢書 上総の巻』は、藤沢衛彦が大正六年に編んだ上総国の伝説集である。夷隅・長生・山武・市原・君津の五郡にわたり、地名の由来、社寺の縁起、城と武将の事跡、大蛇や狐つきの怪異、俚謡や民間の風俗を、口碑や『総国誌』などの地誌から集める。巻頭に著者の序と緒言を置き、上総国と郡の名義を説いたのち、郡ごとに町村の所在を添えた見出しで一話ずつ並べる。