千光寺谷の景清屋敷
どんな伝承か
平家の侍、悪七兵衛景清は上総の地に住んだといい、その屋敷を景清屋敷と呼んだ。一説には上総介広常の館跡ともいうが、景清の住んだ地はいすみ市長志の千光寺谷と考えられ、千光寺の寺域に景清の屋敷という一軒があったものの、乙亥の火災で焼失したと縁起は伝える。景清は壇の浦まで平家のために力を尽くし、屋島の戦いでは源氏の美尾屋十郎と組み合って兜の錣を引きちぎった話で知られる。戦の後、摂津の島下で誤って僧を殺したため悪七兵衛の名がついたという。布施村などに景清の墓と伝えるものがあるが、著者は広常の墓の誤伝だろうとみている。
原典より
惡七兵衛景清は、平家の侍で、上総の地(一説、上総権介広常の館の跡。—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年))
『日本伝説叢書 上総の巻』は、藤沢衛彦が大正六年に編んだ上総国の伝説集である。夷隅・長生・山武・市原・君津の五郡にわたり、地名の由来、社寺の縁起、城と武将の事跡、大蛇や狐つきの怪異、俚謡や民間の風俗を、口碑や『総国誌』などの地誌から集める。巻頭に著者の序と緒言を置き、上総国と郡の名義を説いたのち、郡ごとに町村の所在を添えた見出しで一話ずつ並べる。