母に身代わりを託した景清の地蔵尊
どんな伝承か
悪七兵衛景清は、大仏開眼の供養に参列するため奈良に来た源頼朝を討って一族の恨みを晴らそうと、転害門に身を隠していたが、望みは果たせなかった。その後、景清は福井町に暮らしていた母のもとを訪ねて心を改め、自分と同じ背丈の地蔵尊を刻んで身代わりとして母に託し、自らの目を突いて死んだという。母はそれから毎日その地蔵尊に景清の冥福を祈った。この地蔵尊はいま新薬師寺の本堂に景清地蔵尊として祀られている。
原典より
悪七兵衛景清が、大仏開眼供養に参列するため奈良に来た源頼朝を殺して、一族の恨みを果たそうと、転害門にひそんでいたが果たし得なかった。—— 奈良市史 民俗編――伝説(奈良市(編)・奈良市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
奈良市史 民俗編――伝説(奈良市(編)・奈良市史)
『奈良市史 民俗編――伝説』は、自治体史『奈良市史』民俗編のうち、第十一章「伝説」と巻末の「民俗資料」の冒頭を収めたものである。昭和三十七年から三か年にわたり市内各町の自治会長や古老、社寺を訪ねて集めた伝説に文献の伝えを加え、春日大社・東大寺・興福寺などの社寺や、吉備真備・俊寛・中将姫らゆかりの人物にまつわる話を収める。木・石・塚・水・山・森・社寺・人物・動植物・町名の十節に分け、一話ごとに題を立てて記す。