屋敷を寺に寄附した満原殿と藻原寺
どんな伝承か
「藻原の八重桜、八重に湛みて十重に咲く」と『総国誌』に歌われた眺めのよい藻原寺の敷地は、昔、満原殿という人の屋敷であったと伝える。『朝野旧跡記』には弘安二年に満原殿が屋敷を寺に寄附したことが見え、その頃はまだ屋敷が境内にあったらしいが、慶応年中の廃仏の後に全く無くなったと考えられる。『日本風土記』は藻原山妙光寺の開山を日蓮、二祖を日向とし、当地の斎藤某と須田の高橋五郎時光を願主に挙げ、寺の天狗を左京坊と呼ぶと記す。『房総一覧志』には、弘安二年六月に斎藤左衛門尉が居院を日蓮に寄附し、五重塔を建てて妙光寺と号し、以来千葉まで七里の間がみな法華宗の寺になったとある。
原典より
『藻原の八重櫻、八重に湛みて十重に咲く。—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年))
『日本伝説叢書 上総の巻』は、藤沢衛彦が大正六年に編んだ上総国の伝説集である。夷隅・長生・山武・市原・君津の五郡にわたり、地名の由来、社寺の縁起、城と武将の事跡、大蛇や狐つきの怪異、俚謡や民間の風俗を、口碑や『総国誌』などの地誌から集める。巻頭に著者の序と緒言を置き、上総国と郡の名義を説いたのち、郡ごとに町村の所在を添えた見出しで一話ずつ並べる。