飢えて自刃した将士を葬る首塚
どんな伝承か
上房郡の津川村・上竹荘村・巨瀬村が境を接するあたりに首塚がある。飢えに追い詰められた敗軍の将士が、ここで自ら命を絶ったところだと伝え、東へ数丁行った先には飢坂という地名が残る。永禄十年八月、宇喜多直家が松山の三村氏を攻めようと兵を出し、三昼夜の激戦の末に三村氏はついに降ったといい、この合戦の戦死者を葬った場所だともいわれる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説名彙(柳田国男(指導)・日本放送協会(編)/関敬吾・石原美子(編纂)・1949年(昭和24年))
『日本伝説名彙』は、柳田國男の指導のもとに日本放送協会が昭和二十四年に編んだ伝説の名彙である。全国の伝説を、その拠り所となる木・石・岩・橋・清水・淵・塚・坂・屋敷・地蔵などの地物の名ごとに集め、伝わる県郡村名を付して、郡誌・市町村誌や伝説集、民間伝承誌などの出典を括弧で示す。冒頭に柳田の「傳説のこと」を置き、木・石岩・水・塚・坂峠・祠堂の部に分けて、巻末に資料の解説と種類別索引を付す。