台風第二十二号の狩野川災害
どんな伝承か
昭和三十三年九月二十六日の台風第二十二号は、関東地方にまれに見る被害をもたらし、とりわけ伊豆がひどかった。最も惨かったのは、天城の山々から流れ出る大見川と桂川が落ち合う大仁から下の狩野川沿いだったという。大仁より上流にあった十余りの橋は、どれも一時は流れをせき止めるダムのようになっては耐えきれずに押し流され、橋が一つ流れるたびに水の勢いが強まった。濁流は黒い竜が暴れ回るように田方平野を一気に呑み込み、田の中の蛭ガ小島でも水深は一メートル四十に達した。短い間に死者八百七十二人、重軽傷者千五百人を数え、損害は四千億以上にのぼったと伝わる。
原典より
その内でも惨禍の一番ひどいのは、天城山脈から出る大見川、桂川で、その合流点、大仁から狩野川の流域だという。—— 城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。