禿山を戻した戸長と九万本の苗
どんな伝承か
奥村友太郎は一八五八年に生まれ、山津波や鉄砲水が村の人家と田畑を奪い去った話を聞かされて育った。明治五年、村の街道を横切る三本の天井川の下に隧道が通されたが、鉄砲水は治まらず、荒廃した山の流砂が河床を上げ、水は逆流して堤防を潰した。当時、三雲村の村山は約八〇〇町歩あったが、どの山も禿山だった。友太郎は治山治水のほかに村を救う道はないと決意し、何度も山に登って精密な地図を作り、山を肥やす方法を考えた。肥料木の育苗に成功していた菩提寺村の龍池藤兵衛に教えを受け、ハゲシバリやヤシャブシの育苗に専念し、八反の田を苗圃として杉や檜の稚苗九万本を植えた。戸長の月給をすべて注ぎ込み、家産も手放したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
現代民話考 9 (木霊・蛇)(松谷みよ子・現代民話考・昭和〜平成)