乳母が鎧の袖を引いた袖止め橋
どんな伝承か
博労町と本町の境に架かる小さな石橋で、今はみどり橋と呼ばれる。小笠原忠政が大坂の陣に出陣する際、まだ若いからと母は行かせたがらなかったが、本人は行くと言い張って無理に出立した。本町から博労町の橋のあたりまで来たとき、急を聞いて後を追ってきた乳母が追いつき、忠政の鎧の袖をつかんで引き止めたところ、袖がちぎれてしまった。以来この橋は袖止め橋と呼ばれているという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 民俗編 第3巻 3 (中信地方 ことばと伝承)(長野県史)
『長野県史 民俗編 第3巻(三) 中信地方 ことばと伝承』は、長野県史の民俗編のうち中信地方の巻から、伝説の章を抜き出したものである。木・石・水・塚・坂と道・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・社寺・地名・禁忌などに分けて、松本・塩尻・安曇野・大町・北安曇・木曽に伝わる言い伝えを短い条で並べる。抜き出しの際に多くの条から採集地の表示が落ちており、土地の名が本文に書かれない条も少なくない。