子授けの桔梗ヶ原の玄蕃稲荷
どんな伝承か
郷原の桔梗ヶ原にあった稲荷。昔、佐久の浦野家から奥方を迎えた松本の殿様は子に恵まれず、方々の神に祈っても授からなかった。桔梗ヶ原の稲荷に願を掛けたところ男の子が生まれ、お礼に社殿を建てた。永正五年のことで、殿様が玄蕃允だったので領民は玄蕃允大明神と呼んで敬い、郷原の稲荷宮の中興とされる。その後、甲斐と信濃の戦で焼け、石川玄蕃頭が修復したが、石川氏が改易されると廃れ、金比羅と名を変えて別の地へ移されたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 民俗編 第3巻 3 (中信地方 ことばと伝承)(長野県史)
『長野県史 民俗編 第3巻(三) 中信地方 ことばと伝承』は、長野県史の民俗編のうち中信地方の巻から、伝説の章を抜き出したものである。木・石・水・塚・坂と道・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・社寺・地名・禁忌などに分けて、松本・塩尻・安曇野・大町・北安曇・木曽に伝わる言い伝えを短い条で並べる。抜き出しの際に多くの条から採集地の表示が落ちており、土地の名が本文に書かれない条も少なくない。