柏餅を作れない中島の西側
どんな伝承か
中島は川を挟んで東西に分かれ、明治二十四年ごろはそれぞれ十一戸ずつの貧しい集落だった。西側には昔から端午の節句に柏餅を作ってはならないという禁忌があり、節句には赤飯を作って東側の親類などから柏餅をもらい、赤飯を返した。氏神の八幡神社が柏餅を嫌うので、西側で作ると疫病がはやるといわれた。一説には、柏餅を所望した六部が断られ、腹いせに熱病をはやらせてやると言い捨てて去ったからだともいう。明治二十四年、迷信だとしてある家が柏餅を作ると、西側は軒並み熱病にかかり多くの死者が出た。数えで五歳だった語り手もかかって生死の境をさまよったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
小山町史 第9巻 (民俗編)(小山町史)
『小山町史 第9巻(民俗編)』は、静岡県駿東郡小山町の町史の民俗編から、口頭伝承の章の伝説の節を抜き出したものである。石子詰にされた忍びの若者・用沢小僧の伝えを出典ごとに並べ、むらの名の由来、金太郎ゆかりの地と石、仇討如来や鬼鹿毛馬頭観音、村境の決め方、竹之下合戦にまつわる伝えなどを収める。富士山麓と足柄山のあいだの町に残る、地名と社寺・石に結びついた言い伝えが中心である。