火の粉の雨で死んだ人の火の雨塚
どんな伝承か
協和の高呂には、福王寺の末寺である真光寺という寺がかつてあった。今は廃寺となって跡地は畑になっているが、そこに榎が立ち、根元に火の雨塚がある。昔、蓼科山が燃えた際に火の粉が雨のように降り注ぎ、多くの人が焼け死んだ。その亡骸を葬って築いたのがこの塚だと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
望月町誌 第2巻 (民俗編)(望月町誌)
『望月町誌 第2巻(民俗編)』の伝説の節を抜き出したものである。旧望月町(いまの佐久市)の集落ごとに、植物・石・清水と池・岩穴と塚・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・稲荷・動物・巨人・化け物・禁忌・カッパ・地名の伝えを並べる。望月の駒と生駒姫、梅円坊の化け物退治、彦狭島王の王塚、長者原の長者、ゴマを作らない村々の言い伝えなどが見える。