江戸から帰りたがった高呂の六地蔵
どんな伝承か
高呂の集落の入口に、六体の地蔵を六つの面に彫り出した六地蔵幢という石造物がある。流行り病を村に入れない守りとして名高く、どんな病にも効くとして他村からも多くの人が参った。あまりに霊験があるので、祢津の殿様が江戸へ運び去ってしまったことがある。すると江戸で流行り病が広がって死者が相次ぎ、占わせたところ六地蔵を移した祟りと分かった。そこですぐ高呂へ戻し、元の場所にまつったという。運ぶ際は重くて十日余りかかったのに、帰りはわずか二昼夜で着いた。地蔵が早く故郷へ帰りたがっていたためだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
望月町誌 第2巻 (民俗編)(望月町誌)
『望月町誌 第2巻(民俗編)』の伝説の節を抜き出したものである。旧望月町(いまの佐久市)の集落ごとに、植物・石・清水と池・岩穴と塚・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・稲荷・動物・巨人・化け物・禁忌・カッパ・地名の伝えを並べる。望月の駒と生駒姫、梅円坊の化け物退治、彦狭島王の王塚、長者原の長者、ゴマを作らない村々の言い伝えなどが見える。