京都へ位を受けに行った権重稲荷
どんな伝承か
天保のころ、観音寺新田の相良彦太郎が屋敷に稲荷をまつった。いつしか子の夜泣きに効くと評判になり、講を作って祭日を定め、横鳥の法印に祭りを頼んだ。あるとき稲荷が京都へ位を受けに行くとのお告げがあり、土蔵の屋根に一分銀と赤飯一升を供えると、夜更けに稲妻のような光が走り、金も赤飯も消えていた。一年後、京都の本部は正一位を授けたが、受けに行った年寄りが姿を消したため、稲荷坊様が位を携えて中山道の八幡宿まで来た。宿で尋ねて彦太郎の稲荷と知り使いをよこしたので、彦太郎は八幡宿へ出向いて金十粒を納め、位を受けて今の場所に正式にまつったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
望月町誌 第2巻 (民俗編)(望月町誌)
『望月町誌 第2巻(民俗編)』の伝説の節を抜き出したものである。旧望月町(いまの佐久市)の集落ごとに、植物・石・清水と池・岩穴と塚・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・稲荷・動物・巨人・化け物・禁忌・カッパ・地名の伝えを並べる。望月の駒と生駒姫、梅円坊の化け物退治、彦狭島王の王塚、長者原の長者、ゴマを作らない村々の言い伝えなどが見える。