灰の中から光って現れた吹上観音
どんな伝承か
下新倉の吹上観音は、天平のころ行基がこの土地に仏法の栄える相を見て、天竺の椋の木で八寸ほどの観音像を自ら彫り、赤池のほとりに堂を建てて納めたのが始まりと伝わる。安永五年十二月十日の夜更け、本堂の内側から火が出て堂は焼け落ちた。その日は暮れの市で、村人も商人も総出で火を消そうとしたが及ばず、皆は像も灰になったと嘆いた。ところが明け方、灰をかき分けていると中から光が差し、中新田仏ノ木の伊三郎が鎌で像を掘り出した。像は左手と右足がわずかに傷んだだけで、人々は観音の力に手を合わせ、仮堂を建てて安置したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
和光市史 民俗編
『和光市史 民俗編』の伝説と昔話の章から、伝説の節を抜き出したものである。埼玉県和光市の下新倉・新倉・白子に伝わる、妙典寺の子安池と楊枝柳、孝行息子の汲む水が酒になった強清水、白子地福寺の枕返し地蔵、吹上観音の火中出現と観命尼の焼身、新羅三郎義光の笛の伝説などを、異伝と出典を添えて収める。市史の編者がそれぞれの伝説の成り立ちを論じる文章が多い。