都の公家と五居ヶ島の由来
どんな伝承か
大昔、都の公家が家族を伴って下ってきて、今の川島と小野子の境にあたる吾妻川の岸で休んだ。冑を脱ぎ、牛の鞍を外して草原につなぎ草を食ませたことから、その場所を牛島と呼ぶようになったといい、かぶと石という石もある。公家はやがて川島に住まいを定めてこの地方を治め、亡くなったのちは甲波宿禰神社としてまつられた。川島の東には今も神社の跡が残る。公家は川島・牛島・祖母島・箱島・寄島などを領地としたので、これを五居ヶ島と呼んだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
渋川市誌 第4巻 (民俗編)
『渋川市誌 第4巻(民俗編)』の伝説と昔話の冒頭を抜き出したものである。群馬県渋川市の飛び湯と午年の貝水、千が窪の蛇、弘法様の清水、渋川八名石・有馬五石などの石の伝え、祖母島のあずきとぎ、五居が島、二位寺山、歯黒稲荷などを、伝承の大字を添えて収める。利根川と吾妻川の合う町の、石と水と塚にまつわる伝えが中心である。