入水寺観音の縁起と爺杉・媼杉
どんな伝承か
入水寺の観音の縁起。延暦二十年に東夷討伐を果たした坂上田村麻呂は、日ごろ信じていた山城の鞍馬寺にならって一寺を建て、済浄山鎮国寺と名づけたという。清和天皇の代には、田村麻呂の守り本尊の観音が毘沙門天の堂に移され、東堂山の観音と並んで祀られた。像は徳一大師の作と伝わる。寺は犬上太郎の子孫が代々守り、延徳・明応のころ龍門寺の桃岩寿見和尚を迎えて曹洞宗に改め、万歳山入水寺と名を改めた。戦乱で荒れたのち元禄元年から再建されたが、七十二年後に焼けた。寺の脇の爺杉・媼杉は鎮国寺創建の大同二年に植えたというが、明治三十五年二月に幹の洞から出た火で焼け失せた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
滝根町史 第3巻 (民俗編)
『滝根町史 第3巻(民俗編)』の口承文芸の節から伝説を抜き出したものである。福島県田村市滝根町(菅谷・神俣・広瀬)の大滝根山の田村麿と大滝丸、入水寺の観音、小野小町の伝え、鶴ヶ池物語、人柱茂左衛門、曽富登神社、六句の坊、片手観音、三本足の鳥、姥捨山などを収める。古い村誌の文語の引用と聞き書きの口語が混じる。