秋葉山大権現のお札降り(慶応三年十一月)
どんな伝承か
慶応年間から明治初めにかけて、伊那谷でもお札降りが激しく流行した。虎岩村の五兵衛方には慶応三年十一月一日に札が降り、平沢修一のもとに残る帳面には「慶応三卯ノ十一月朔日 秋葉山大権現并大黒天 二夜三日 御祭礼諸色御下り付祝儀覚」とある。降ったのは秋葉山大権現と大黒天の二種で、そのため二夜三日の祝いが行われた。この時あまりに踊り狂って床が抜けてしまったという。まず近所の者が重箱を持参し、次第に遠方からも人が集まり、遠くの青年衆も祝儀を持ってやって来た。二夜三日で当家が直接使った金は一両二分二朱と酒七斗余で、買い物は八幡まで出かけて仕入れたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
伊那 1958年1月号(地方誌・郷土史資料・1958年(昭和33年))
『伊那 1958年1月号』は、伊那谷の郷土の雑誌『伊那』の一号の一部である。平沢清人の「ぬけ参りとお札降り」を中心に、江戸時代の抜け参りを詠んだ「御影参り百人一首」の抄出と、慶応三年十一月に虎岩村の五兵衛方へ札が降ったときの祝儀の品と祭礼の買物の記録を載せる。前後には、祭りの芸能を記した記事の末尾と、向山雅重が飼い馬の餌を記した「馬夫食」の冒頭が残る。