眉山崩れで三年生き埋めの奉公人
どんな伝承か
島原から眺めると幾筋もの滝を掛けたように美しい眉山は、寛政四年に崩れ、島原の町の大半が土砂に埋まった。海に流れ込んだ土砂は港の沖に大小の島をつくり、その勢いで起きた津波は対岸の筑紫や肥後の海岸まで荒らした。このとき、ある酒屋の奉公人が地中に生き埋めになったが、真っ暗な中で酒をなめて三年も命をつなぎ、ついに掘り出されたという話も残っている。
原典より
その時酒屋の僕某は地下に生埋めにされたまま三年も真暗い所で酒を嘗めて生きながらへ遂に掘出されたこいふ話もある。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。