白狐を拾って栄えた神門郡の分限者
どんな伝承か
出雲でいちばんの分限者と言われた神門郡の百姓は、同時にキツネモチとも見られていた。小泉八雲が『日本瞥見記』に書き留めたところでは、この男がまだ貧しかったころ、森で小さな白狐の子を拾い、家へ連れ帰って豆腐や油揚げ、小豆飯といった狐の好物をたっぷり与えたという。それを境に運が向きはじめ、家は栄えた。屋敷には狐のためだけの座敷がしつらえてあり、月に一度、何百匹もの人狐を招いて盛大にもてなしているとも噂された。吉田禎吾は、急に富んだ家がキツネモチと呼ばれる型の一例として、これを挙げている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの(吉田禎吾・民俗・憑きもの研究・1972年(昭和47年))
『日本の憑きもの』は、吉田禎吾が一九七二年に著した人類学の研究書である。キツネ・イヌガミ・オサキなどの憑きもの信仰と、それを家筋で伝える憑きもの筋を、島根・高知・大分などの村での調査事例と古記録をもとに取り上げ、アフリカやヨーロッパの邪術・妖術と比べて論じる。三章立てで、憑きものの正体と特色、憑きもの筋の形成と伝播、憑きものが村落社会で果たす働きを順に述べ、注とあとがきを付ける。