馬ばかりが斃れる成沢の塚
どんな伝承か
涌谷町から東三十丁ばかりのところに成沢という部落があり、馬が近づけば必ず禍を受けるという妖しい塚があった。この言い伝えのため、昔から馬を曳き、あるいは騎馬でここを過ぎる者はなかった。貞享四年七月、前谷地村の幸七が馬を曳いて通りすぎると、馬は突然倒れ、数声嘶いて絶命した。享和二年には土地の庄松が馬で駆けぬけようとして馬が泡をふいて死に、天保三年の夏には涌谷の農夫六蔵が塚のほとりの樹に馬を繋いだところ、変な声をあげて斃れた。天保七年三月にも馬夫六右衛門の馬が奔走してこの塚辺で倒れ、荷鞍の鎌で背を切りさいて死んだという。
原典より
涌谷町から東三十丁ばかりのところに、成沢という部落があり、馬が近づけば必らず禍を受けるという妖しい塚があった。—— 宮城県史 民俗編(宮城県史シリーズ・昭和中期(推定1960-1970年代)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮城県史 民俗編(宮城県史シリーズ・昭和中期(推定1960-1970年代))
宮城の民間信仰と禁忌(宮城県史民俗編)/禁忌を破る祟りと火玉/河童・狐狸の怪/年中行事と俗信/地域の幽霊・妖怪伝承