竹原新町の酒屋に降った金子と神札
どんな伝承か
平格が慶応四年(明治元年)正月に書いた手紙には、年が明けても竹原の新町で神札の降臨が続いた様子が書かれている。新町の酒屋には神札とともに金子三両が降り、新町の貧しい家々や井原家の数軒にも神札が降った。新町の井原では老人も若者も手踊りをして大騒ぎになったという。前年十二月に下市で始まった降臨の騒ぎが、町の別の一角にまで広がっていたことがうかがえる。
原典より
神札降臨新町酒屋へは、金子三両、神札降臨、新町貧家、井原数家に神札降臨、新町井原では老若共手躍りで大騒動—— 尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史)
『尾道市史 -新修-第2巻』は、第二十一節「「お札降り」と「ええじゃないか」」だけを収めた抜粋である。慶応三年の冬、尾道で伊勢大神宮などの御札が降ったとして町中が踊り騒いだ一件を、尾道一宮社文書、芸藩の会計係の「尾道出張日記」、友松山荘の「伝家録」で示し、竹原下市の頼家の日記や書状、広島の例と比べる。後半は学界の諸説を紹介し、栗田年誌から米価の高騰や竹原の打ちこわし、栗原村の徒党の記録を引いて、世直しの動きとの関わりを論じる。